「大東亜戦争 失われた真実 ― 戦後自虐史観によって隠蔽された「英霊」の功績を顕彰せよ!」の読書感想です。
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大東亜戦争 失われた真実 ―戦後自虐史観によって隠蔽された「英霊」の功績を顕彰せよ!
著者の紹介
著者:葛城奈海
略歴:ジャーナリスト、俳優。防人と歩む会会長、やおよろずの森代表。
東京大学農学部卒業後、自然環境問題・安全保障問題に取り組み、森づくり、米づくり、漁業活動等の現場体験をもとにメッセージを発信。
TBSラジオ『ちょっと森林のはなし』森の案内人(2008~2011)。2011年から尖閣諸島海域に漁船で15回渡り、現場の実態をレポート。
林政審議会委員。防衛省オピニオンリーダー。予備3等陸曹。予備役ブルーリボンの会広報部会長。北朝鮮向け短波放送しおかぜでアナウンスを担当。
日本文化チャンネル桜『海幸山幸の詩』レギュラー出演中。言論テレビ『言論さくら組 前へ、進め! 』出演中。産経新聞『直球&曲球』連載中。
近著(共著)に『国防女子が行く』(ビジネス社)
著者:奥本康大
昭和25(1950)年9月、元陸軍大尉奥本 實の長男として大阪市南区に生まれる。
昭和50(1975)年4月、出光興産に入社、現役時代は製造から販売までの業務に従事。
現役勇退後は、保護司、調停委員として社会奉仕活動に取り組んでいる。
特に家庭問題や非行少年の更生に注力している。
「空の神兵顕彰会」会長、「史実を世界に発信する会」委員、「二宮報徳会」理事、「千葉正論の会」共同代表、「新しい歴史教科書をつくる会」千葉支部幹事。
著書に『なぜ大東亜戦争は起きたのか? 空の神兵と呼ばれた男たち』髙山正之共著・奥本實名義(弊社刊)がある。
本の構成
全体で6つの章より構成されています。
- 第1章 なぜ日本は大東亜戦争を戦ったのか
- 第2章 パラオ「玉砕の島」ペリリュー
- 第3章 サイパン、テニアンで失われる皇軍の偉業
- 第4章 知られざる高千穂降下部隊と義烈空挺隊
- 第5章 戦後を生き抜いた英雄の忸怩たる思い
- 第6章 「英霊の言乃葉」にみる先人たちの思い
読んだ感想
本書でも紹介されている、「英霊は二度死なせてはいけない」という言葉が心に響きました。
一度目の死は肉体の死、二度目は記憶から忘れ去られる死
あの戦争は世界征服を狙った日本が、侵略のために起こした戦争だったのでしょうか?
将兵たちは何を護るため、何を思い散花されたのか?
戦後の占領政策や日教組の愚民教育により、戦後70年たった今でも、
- 「日本が悪いことをした」
- 「原爆により戦争が終結し、多くの命が救われた」
といった戦後自虐史観をもった日本人が多くいることが悔しくて仕方がない。
情けないことではあるが、ここまで戦後の洗脳政策が成功してしまうと、日本の歴史教育を根本から変えることは非常に難しい。
しかし、時代は変化している。
言論の自由が保障され、史実を伝える本は書店やオンラインで誰でも購入できる。
中古で買えば定価の半額以下で購入できるものも多く流通しており、アマゾンでは、早ければ注文した翌日に送られてくる。
インターネットやSNSも重要な情報源であり、スマホが一つあれば、小学生でも多くの情報にアクセスできる。
自虐史観に基づいた情報もあふれているが、史実を伝えるブログやウェブサイトも多くある。
YouTube などでも、批判を覚悟で動画を投稿し、自存自衛の戦争であったことや、史実を一生懸命伝えようとしているチャンネルがあることが非常に喜ばしい。
つまり20~30年前までの、「学校で教わることが全て」という時代は終わり、学ぶ姿勢さえあれば、「誰でも簡単に歴史を学び直す」ことができる。
言い換えれば、「歴史認識は自分で選べる時代」である。
学校で教わる歴史は、「世界が日本をどのように見ているか」を学ぶためのものであり、「日本人として歴史をどのようにとらえるか」は別の問題である。
あなたは一生、後ろめたさや戦後自虐史観を抱きながら生きていきますか?
それとも、証言や事実に基づいた歴史を学び、日本人であることを誇りに思い生きていきますか?
学校で学ぶ歴史に少しでも疑問を抱いたのならば、ぜひ読んでいただきたい、
「大東亜戦争 失われた真実 ―戦後自虐史観によって隠蔽された「英霊」の功績を顕彰せよ!」
本書で学んだ3つの史実
① 世界で初めて「人種差別撤廃」を発議した日本
コロンブスのアメリカ大陸発見以降、ヨーロッパの国々は南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、東南アジアを侵略し領土を拡大していった。
アステカ王国やインカ帝国を築いていた先住民の人口は、およそ数千万~1億人とされるが、スペインによりほぼ全滅に追い込まれた。
ポルトガルがブラジルを発見して以降、100万~300万人の先住民が虐殺、もしくは重労働に課され、多数の民族が絶滅した。
イギリスから独立したアメリカは、数千万人以上のインディアンを殺害し、領土を西へと拡大していった。
アフリカ大陸に住む黒人を力ずくで奴隷にした、いわゆる奴隷貿易はあまりにも有名であり、16~19世紀にかけて推定1000万~5000万人の黒人が売られたとされている。
東南アジアにおいても、1800年後半以降イギリスはマレー半島を、フランスはベトナム、ラオス、カンボジアを、スペインはフィリピンを、オランダはインドネシアを植民地としていた。
このような世界情勢の中、第1次世界大戦で戦勝国となり、連合国の一員としてパリ講和会議に参加した日本は、世界で初めて「人種差別撤廃」を訴えた。
しかし、世界中に植民地を持ち、自国の発展のため搾取を繰り返している欧米諸国には受け入れられず、アメリカのウイルソン大統領の強権発動により否決されてしまった。
このとき、戦勝国として日本に委任統治を任された国が、パラオやグアム、サイパンなどの南洋諸国である。
日本によるパラオの委任統治は、欧米諸国の植民地政策とは全く異なるものであった。
まず日本は「南洋庁」という行政機関を設けて、朝鮮半島や台湾と同じように、道路を舗装し、橋を架け、電気を通すなどインフラの整備を積極的に行った。
また教育制度や医療施設の整備を行い、パラオの人々の生活水準の向上を推し進めた。
日本からは3万人以上の入植者が移り住み、漁業やリン鉱石の採取、鰹節の生産や稲作にも取り組んだ。
またナス、キュウリ、サトウキビ、パイナップルなどを持ち込み、缶詰やビールの工場をつくり、現地での雇用も創出した。
これはまさに、共存・共栄を目指し、パリ講和会議にて提唱した「人種差別撤廃」をパラオで具現化したことに他ならない。
しかし対米戦が始まると、このパラオも戦場となり、特に飛行場があったペリリュー島は激戦の地となった。
当初アメリカ軍は2~3日で制圧できると豪語していた。
しかし、兵力、武器弾薬ともに圧倒的に劣勢にありながら、精神力で優る日本軍の守備隊は、アメリカ軍に未曽有の損害を与えただけでなく、71日間にも及ぶ激戦を繰り広げた。
この日本軍の守備隊を率いていたのが、中川州男大佐である。
しかも中川大佐には、こんな美談があり、パラオの人々が新日的である一つの所以でもある。
パラオの委任統治以降、日本人と現地の人々との信頼関係は深まっていった。
アメリカ軍の上陸に備えて陣地を構築していた日本軍に対して、現地の人たちは「一緒に戦いたい」と志願したそうです。
しかし中川大佐は「我ら帝国軍人が貴様らなどと戦えるか」と一喝し、ペリリュー島を去るように命じました。
現地の人々を乗せた船がパラオの本島へ向けて動き始めたとき、ペリリュー島から大きな声が聞こえました。
振り返ると、海岸には日本の将兵が整列し、手を振って別れを惜しんでいました。
このときはじめて、「我ら帝国軍人が貴様らなどと戦えるか」といった中川大佐の意図を、現地の方たちは理解し、涙ながらに島を後にしたそうです。
圧倒的に不利な状況にある日本軍は、一人でも多くの戦力の確保したかったでしょう。
しかし、サイパン島で現地の人が戦闘に巻き込まれて、1万人以上の民間人が亡くなったことを知っていた中川大佐は、「同じ悲劇を二度と繰り返してはいけない」と現地の人々を疎開させ、自分たちが盾となることで、パラオの人々を護ったのです。
② 東京裁判という茶番劇
1946年5月3日から1948年11月12日にかけて行われた、連合国が日本の指導者などを裁いた軍事裁判が、東京裁判である。
これにより多くの軍人の方々が、罪なき罪を問われ法務死されている。
残念ながら日本人の中にも、法務死された方々を戦争犯罪人としてさげすむ人たちがいる。
インドネシアでは独立戦争に参戦した将兵は、すべて英雄墓地に埋葬されているにも関わらず。
またこの東京裁判により、戦前・戦中に日本を支えた優秀な人材が法務死に遭ったり、公職追放されたりしたため、日本再生の政策議論に加えられなかった。
これは戦後日本の復興において大きな損失であったことは間違いない。
後年、国連軍司令官を務めたマッカーサーは、東京裁判を「茶番劇」と認めているが、この裁判により1,068名の日本人が命を落としている。
これほど多くの人命が失われているにもかかわらず、「茶番劇」で済ませてしまう連合国側の残忍さを忘れてはならない。
日本人は、日本の優秀な人材が罪もなく裁かれ、葬り去られてしまったこの裁判を認めてはならない。
また靖国神社に殉国七士が祀られているとして、中国と韓国は非難を繰り返しているが、こんな干渉に屈してはならない。
戦後の事後法で裁かれた罪なき人々を、日本人は英雄として称えるべきである。
③ 英霊の成し遂げたこと
戦後の日本を守ってきたのは、憲法九条でもなく、日米同盟でもなく「特攻作戦などの人間業とは思えないような戦い方をする日本人とは、金輪際戦いたくない」と心の底から思わしめた英霊たちの精神・戦いぶりである。
タイ王国のククリット・プラモード元首相の発言も日本人の心に響くものがる。
日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。此の重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決心をされた日(12月8日)である。
われわれはこの日をわすれてはならない。
引用:「世界に開かれた昭和の戦争記念館第4巻・大東亜戦争その後」名越二荒之助編(展助社)
つまり、東南アジア諸国が、欧米の植民地から独立し、形式的にも人種差別がなくなったのは、英霊たちの勇敢な戦いと精神によるものである。
日本は戦闘に敗れはしたものの、欧米列強との戦争には勝利し、世界から植民地という言葉が死語となる歴史への先駆けとなった。
まとめ
自存自衛のため、日本国民が一丸となって戦ったにも関わらず、中国や韓国に侵略戦争だったと決めつけられている。
私たちのおじいさんやおばあさんたちの世代は、そんなにも野蛮で傲慢だったのでしょうか。
ぜひ一度考えて頂きたい。
日本人としての自信と誇りを取り戻して欲しい。
命を賭けて守り抜いた、悠久の歴史と伝統文化をもつ国『日本』を再興するために、私たち一人一人ができることは何か、考えなければならない。