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行く前に知っておきたい済州島の歴史・文化・暮らし|30代韓国一人旅

 

 

  • 済州島に旅行予定の方
  • 済州島の歴史をサクッと知りたい方

 

 

 自己紹介 

 

・バックパッカーとして38か国

・アメリカの大学院に留学

・副業・ブロガー歴約5年

 

 

 

 

 

行く前に知っておきたい済州島の歴史・文化・暮らし

 

韓国最南端に浮かぶ済州島(チェジュド)

 

美しい自然とリゾート地としてのイメージが強いこの島は、長い歴史の中で幾度も国家や人々に翻弄されてきました。

 

本記事では、古代から現代までの済州島の歩みと、そこに暮らす人々の生活・文化に焦点を当てて、深く掘り下げていきます。

 

 

1. 古代から高麗時代:耽羅国の独立と高麗への編入

 

 

1.1 耽羅国の成立と文化

 

済州島はかつて「耽羅(タムナ)」と呼ばれる独立した王国でした。

 

三姓神話によれば、高・良・夫の三氏族の祖先が地中から現れ、天から降りてきた三人の姫と結婚して国を築いたとされています。

 

これは、済州島の独自性と自立性を象徴する神話として、現在も語り継がれています。

 

耽羅国の人々は、火山性の土壌を活かして雑穀や豆類を栽培し、海女(ヘニョ)による素潜り漁でアワビや海藻を採取していました。

 

また、馬の飼育も盛んで、済州馬は耐久性と俊敏性で知られています。

 

住居は石垣で囲まれた半地下式の構造で、強風や寒さから身を守る工夫がされていました。

 

1.2 高麗への編入と影響

 

1105年、耽羅国高麗王朝に編入され、「済州牧」として再編成されました。

 

これにより、中央集権的な統治が導入され、儒教的な価値観や行政制度が持ち込まれました。

 

特に、馬の飼育が国家的な事業として推進され、済州島は軍馬の供給地としての役割を担うこととなりました。

 

 

2. モンゴル支配時代(1273〜1356年):軍馬生産と文化的影響

 

 

1273年、モンゴル帝国は済州島を直接支配下に置き、「探馬都監」という軍馬育成機関を設置しました。

 

これにより、済州島は東アジア有数の軍馬生産地となり、馬の飼育技術や品種改良が進められました。

 

モンゴル支配の影響は、言語や風習、衣食文化にも及びました。

 

例えば、モンゴル語由来の言葉が済州方言に取り入れられたり、遊牧的な生活様式が一部導入されたりしました。

 

また、モンゴル兵との交流を通じて、新たな技術や知識が伝えられ、済州島の文化的多様性が形成されました。

 

 

3. 朝鮮王朝時代:流刑地としての済州島

 

 

朝鮮王朝時代、済州島は政治犯や思想犯の流刑地として利用されました。

 

島の隔絶性と厳しい自然環境が、罪人を社会から隔離するのに適していると考えられたためです。

 

3.1 流刑人の生活と現地住民との関係

 

流刑人は、島内で監視下に置かれながらも、農作業や漁業を通じて自給自足の生活を送っていました。

 

また、彼らの中には高い教養を持つ者も多く、現地住民に漢字や儒学、書道などを教えることで、地域の教育水準向上に貢献しました。

 

これにより、流刑人と住民との間には、師弟関係や信頼関係が築かれることもありました。

 

一方で、流刑人は常に監視されており、住民との接触が制限されることもありました。

 

特に、政治的に危険視される人物の場合、住民が関与することで自身も疑われるリスクがあったため、慎重な対応が求められました。

 

 

4. 日本統治時代(1910〜1945年):社会変化と人々の暮らし

 

 

1910年の日韓併合以降、済州島も朝鮮半島全域と同様に、日本の統治下に入りました。

 

この期間、済州島では土地制度、行政、教育、インフラ、経済などの面で大きな変化がもたらされ、住民の生活や文化にも影響が及びました。

 

4.1 経済と労働環境の変化

 

1910年代から1930年代にかけて、日本政府は朝鮮半島での土地調査事業や税制の導入を進め、済州島でも同様の制度が導入されました。

 

これにより土地の所有関係が明確化された一方で、一部の農民は小作人化し、地代負担に苦しむ声もありました。

 

また、島内の経済規模が限られていたため、多くの若者が日本本土、満州、サハリンなどに出稼ぎに向かうようになりました。

 

彼らは鉱山、工場、建設現場などで労働に従事し、島の家計を支える重要な役割を果たしました。

 

4.2 教育と文化的変化

 

この時期、朝鮮全域に近代的な教育制度が導入され、済州島でも国民学校(初等教育)などの整備が進みました。

 

授業は日本語で行われるようになり、朝鮮語教育や伝統文化の扱いが縮小されました。

 

これは同化政策の一環とされる一方、基礎教育の普及という側面も評価されています。

 

同時に、神社参拝や修身教育などが学校教育に取り入れられ、済州島でも皇国臣民としての自覚を育てることが求められるようになりました。

 

これは当時の時代背景における教育方針であり、宗教や文化の多様性に対して一定の影響を及ぼしたとされます。

 

4.3 暮らしと住民の日常

 

済州島の住民は、火山島特有の厳しい自然環境の中で伝統的な生活様式を維持していました。

 

家屋は石垣で囲まれた平屋が多く、食事は雑穀や干物、海藻など素朴な内容でした。

 

済州特有の「トンシ(통시)」という豚小屋一体型トイレも引き続き使われ、限られた資源の中での生活の知恵が受け継がれていました。

 

衣服や食文化においては、日本的な要素が部分的に取り入れられましたが、地域社会における伝統的価値観や習慣も並行して存続していました。

 

4.4 抵抗と適応の両側面

 

この時代、済州島でも一部の住民が独立運動や抗議活動に関与した記録があり、1932年の「海女抗争」では、海産物の流通や搾取への反発から多くの女性が蜂起する事件が発生しました。

 

一方で、日本統治下で新しい教育や医療、インフラの整備を経験した世代もおり、人々の反応は一様ではありませんでした。

 

 

5. 済州4・3事件(1948〜1954年):現代史の悲劇

 

 

1948年、南北分断と単独選挙への反対を背景に、済州島で武装蜂起が発生しました。

 

これに対し、政府軍や警察が大規模な鎮圧作戦を展開し、多数の民間人が犠牲となりました。

 

5.1 民間人の犠牲と国家による暴力

 

済州4・3事件において、もっとも深刻だったのは無関係な民間人に対する大規模かつ組織的な虐殺でした。

 

島民の約10〜15%に相当する2万5千〜3万人が死亡、全焼・全滅した村は230ヶ所以上にのぼりました。

 

北村虐殺事件(1949年)その象徴的事件が「北村里(プクチョンリ)虐殺事件」です。

 

住民約300人が、共産主義への協力の疑いのみで、村ごと集団処刑されました。

 

ほとんどが女性・子ども・高齢者で、村は炎上、家は焼かれ、生き残った人々も長年「加害者の家族」として差別を受けました。

 

掃討作戦と焦土化政策ゲリラ掃討の名のもとに、政府は「漢拏山(ハルラサン)から5km以内の村はすべて焼却」という命令を発し、山麓の多くの集落が破壊されました。

 

住民たちは食料や水を求めて山に逃げ込むも、逃亡中に射殺されたり、餓死することも多く、まさに「国家による戦争」と言える状況が繰り広げられました。

 

5.2 戦後の沈黙と真相究明

 

事件後、済州島の人々は「反政府分子」として監視・差別を受け、事件の話をすることすらタブーとなりました。

 

被害者遺族も、黙って生きるしかない時代が長く続きました。

 

しかし1980年代以降、韓国の民主化が進む中で、4・3事件の真相究明と名誉回復を求める動きが高まり、1999年には「済州4・3事件真相究明特別法」が制定されました。

 

2003年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が正式に謝罪し、国家による暴力が認定されました。

 

 

6. 済州の食文化:自然と歴史が織りなす台所

 

 

済州島の食文化は、火山島という特殊な自然条件、海と山の資源、そして流刑人・モンゴル人・日本人など外部からの影響によって形づくられた独自の複合的な伝統料理です。

 

6.1 土地と食材の制約から生まれた知恵

 

済州では水田が乏しく、主食は粟・麦・トウモロコシなどの雑穀が中心でした。

 

米は祝い事でしか食べられない贅沢品で、多くの家庭では干物、塩辛、芋、海藻を主とした粗食が日常でした。

 

6.2 豚とトイレ:통시(トンシ)

 

済州の生活文化を語る上で欠かせないのが、통시(トンシ)=トイレ兼豚小屋です。

 

人間の排泄物を直接豚が食べる構造で、飼料も肥料も乏しい済州の生活環境の中で、資源循環型の知恵として生まれた画期的な仕組みでした。

 

上段:人が用を足すスペース

下段:豚が飼われているスペース(糞尿がそのまま落ちる)

 

このような「豚と共に暮らす」暮らしは、済州の生活の象徴であり、今も民俗村などで復元模型を見ることができます。

 

6.3 済州の代表的郷土料理

 

料理名 内容
몸국(モムグク) 豚骨スープにモズクを加えた栄養食。冠婚葬祭で供される。
전복죽(アワビ粥) 海女の伝統料理。アワビを柔らかく煮込んだ滋養食。
흑돼지구이(黒豚焼肉) 済州名産の黒豚を溶岩石で焼いた香ばしい料理。
자리물회(冷たい小魚スープ) 夏の定番。酢味噌味の冷製魚スープ。
성게국(ウニスープ) ウニとワカメを使った贅沢な海のスープ。

 

 

7. 済州特別自治道(2006年〜):癒しと平和の島へ

 

 

2006年、済州島は韓国で唯一の「特別自治道」に指定され、法的・行政的な高い自治権が与えられました。

 

これにより、教育、経済、観光、国際交流の分野で大きな発展が見られています。

 

7.1 観光都市としての発展

 

  • ユネスコ世界自然遺産「済州火山島と溶岩洞窟」
  • 世界地質公園、生物圏保全地域と併せて「ユネスコ3冠」を達成
  • 韓国屈指の修学旅行・新婚旅行地として観光客が年間1,000万人を超える年も

 

 

7.2 平和教育と記憶の継承

 

  • 済州4・3平和公園には、追悼碑や展示館が整備され、韓国全土から修学旅行や研究者が訪れる。
  • 北村4・3記念館済州民俗村では、当時の生活を再現し、次世代への記憶の継承が行われている。

 

 

参考に訪れたい施設・史跡(現地ガイド付き)

 

名称 内容
済州4・3平和公園 追悼碑、資料館、証言映像などを通じて済州4.3事件を学ぶことができる。
北村4・3記念館 村全体が虐殺された記憶を伝える施設。遺品・証言展示もあり。
済州民俗村 トンシや済州の伝統的な家屋、生活様式を復元。体験型の民俗テーマパーク。
海女博物館 済州海女の歴史、装備、漁法、無形文化遺産としての意義を紹介。
探馬都監跡 モンゴル支配時代の軍馬牧場跡。軍馬文化の痕跡が残る歴史的遺構。

 

 

まとめ:済州島に刻まれた時間をたどる旅

 

 

済州島を旅するということは、単なる観光ではなく、「語られなかった歴史を歩く旅」でもあります。

 

風の音に耳をすまし、石垣に触れ、山と海の狭間で暮らした人々の記憶にそっと寄り添うことで、私たちは「忘れてはならないもの」に触れることができます。

 

済州島は、過去の悲しみと現在の希望が共存する、アジアでも稀有な「癒しと記憶の島」なのです。

 

 

それでは、良い旅を!

 

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【参考文献・資料一覧】

 

◆ 歴史・考古・文化一般

  • 『耽羅記(탐라기)』
  • 韓国民族文化大百科(한국민족문화대백과사전) – encykorea.aks.ac.kr
  • 済州道史(제주도사) – 済州特別自治道発行
  • 韓国史事典・済州編 – 東北アジア歴史財団

◆ モンゴル支配・馬文化

  • 『探馬都監考(탐마도감고)』
  • 済州馬に関する農林畜産部統計資料 – 韓国農林畜産食品部

◆ 流刑文化・教育

  • 金正喜『洗心帖(세심첩)』
  • 『流刑の文化と済州』 – 済州歴史文化研究所

◆ 日本統治時代(1910–1945)

  • 『日本統治期済州の社会変動』 – 済州大学校出版部
  • 朝鮮総督府統計年報(1910–1945) – 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 『海女たちの抗日運動』 – 韓国女性政策研究院

◆ 済州4・3事件(1948–1954)

  • 『済州4・3事件真相報告書』 – 済州4・3委員会
  • 済州4・3平和財団公式サイト – jeju43peace.or.kr
  • 韓国国家人権委員会「済州4.3と国家暴力」 – humanrights.go.kr
  • BBC News, Hankyoreh, 朝鮮日報などの報道記事

◆ 食文化・生活文化

  • 『済州島の食文化誌(제주 음식문화지)』 – 済州文化財団
  • 『통시文化と豚飼育の民俗研究』 – 韓国民俗学会誌
  • 済州民俗村・民俗自然史博物館公式資料
  • ユネスコ無形文化遺産:「済州海女文化」 – UNESCO公式

◆ 現代・特別自治道・観光

  • 済州特別自治道公式サイト – jeju.go.kr
  • 済州観光公社(Visit Jeju) – visitjeju.net
  • 済州国際自由都市開発センター(JDC) – jdcenter.com

 

 

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