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鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ武将『新田義貞』ゆかりの地を歩いてみた!【東村山ウォーカー 鎌倉遠征SP】

 

 

どうも、東村山市在住のTraBlogです。

 

新田義貞は、大軍を擁する北条得宗家を滅亡に追い込み、権力が巨大化しすぎた鎌倉幕府を倒した名将です!

 

以前、東村山市にある『新田義貞ゆかりの地』について、ブログにまとめました。

 

記事はこちら

 

www.usaryuugakuandtravel.com

 

 

そこで今回は、

 

鎌倉に旅行した際、『鎌倉にある新田義貞ゆかりの地』も訪ねてみました!

 

倒幕を目指す新田軍が、北条氏率いる幕府軍と激戦を繰り広げた地を紹介したいと思います!

 

 

鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ武将『新田義貞』ゆかりの地を歩いてみた【鎌倉遠征SP】

 

鎌倉にある『新田義貞ゆかりの地』を散策してみました。

 

 

 

今回歩いたルートはこちら

 

 

 

それでは詳しく見ていきましょう!

 

 

1. 極楽寺切通し

 

極楽寺切通しは鎌倉の西側に位置し、京都方面から鎌倉に入るための重要な道路です。

 

そもそも「切通し」とは、山や丘などを切りひらいて通した道のことで、三方を山にかこまれた鎌倉では、敵の侵攻を防ぐうえでの重要な役割をはたしていました。

 

極楽寺切通の場所がこちら

 

 

 

江ノ電極楽寺駅のすぐ近くにあります。

 

 

 

1333年(元弘3年)新田義貞による鎌倉攻めでは、大館宗氏を大将とした10万人の兵力が幕府軍に攻撃をしかけます。

 

しかし、木戸などで強固に閉ざされた切通しと、数万の兵力を擁した北条氏による守りは固く、ついにここを突破するできませんでした。

 

 

 

坂の途中にある『極楽寺坂の石碑』

 

 

 

極楽寺切通しを突破できなかった新田義貞は、稲村ガ崎から鎌倉に攻め入る作戦に変更しました。

 

 

 

 

 

極楽寺

 

極楽寺は、『忍性』という人物により開山されました。

 

忍性は土木事業にも力をそそいでおり、極楽寺切通しを開いたのも忍性だと伝えられています。

 

 

 

境内には、忍性が使用していたと伝えられる『千服茶臼』や『製薬鉢』が残されています。

 

 

 

同じく境内には、北条時宗が手植えしたと伝えられる『八重一重咲分け桜』があります。

 

 

 

極楽洞

 

江ノ電鉄(株)が開削した煉瓦造りの抗門で、今も建設当時の原形をとどめています。

 

 

 

 

 

 

2. 稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)

 

稲村ヶ崎は、『新田義貞徒渉伝説地』として国指定史跡に登録されています。

 

極楽寺切通しからの鎌倉攻略は困難と判断した新田貞義は、稲村ヶ崎から攻め入ることを決意しました。

 

 

 

稲村ケ崎の場所がこちら

 

 

 

伝説によると、新田義貞が黄金の太刀を海に投げ入れて龍神に祈願すると、龍神がこれに応じて潮が大きく引いたそうです。

 

潮が引いたことで、海上にいた幕府の水軍も沖へと流され、新田軍は稲村ヶ崎を突破し、鎌倉へと進軍したいわれています。

 

 

 

明治天皇御製碑があります。

 

「投げ入れし剣の光あらはれて千尋の海もくがとなりぬる」

 

 

 

稲村ヶ崎を突破した新田義貞は、鎌倉へと攻め入り、北条高時を含む北条一族を東勝寺へと追い込みました。

 

 

 

稲村ヶ崎は、海岸線と富士山、さらには海岸に迫る山並みと鎌倉の特有の景観が眺望できることから、『関東の富士見百景』に指定されています。

 

今回訪れたのは4月でしたが、12月上旬から1月下旬の風の強い時に、富士山がよく見えるそうです。

 

 

 

 

 

 

3. 由比ガ浜

 

稲村ヶ崎を突破した新田軍は、浜辺の民家を焼き払い、浜風で勢いを増した炎が燃え広がるなか、由比ヶ浜で激戦を繰り広げました。

 

由比ガ浜の場所がこちら

 

 

 

とくに石碑等はありませんので、ビーチに面したレストラン『Seedless Bar』でランチをしながら、由比ヶ浜を眺めることにしました。

 

 

 

浜辺を散歩する人やサーフィンを楽しむ人を見ていると想像もできませんが、かつてこの地で壮烈な戦いが繰り広げられたことを思うと、この地が歩んだ歴史の重さを感じます。

 

 

 

『Seedless Bar』については、ブログにもまとめておりますので、よろしければご覧ください。

 

www.usaryuugakuandtravel.com

 

 

 

 

 

4. 九品寺

 

鎌倉幕府が滅亡したあと、新田義貞が北条氏の戦死者を供養するために建立したお寺です。

 

 

九品寺の場所がこちら

 

 

 

本堂の『九品寺』の文字は、新田義貞の筆を写したものといわれています。

 

『九品寺』の文字がこちら

 

 

 

 

 

 

次回訪れたい場所

 

今回の鎌倉観光で訪れることはできませんでしたが、新田義貞ゆかりの地はほかにもあります。

 

そこで、次回鎌倉を訪れた際に行ってみたい場所を紹介します。

 

次回のルートはこちら

 

 

 

仮粧坂切通し

 

新田義貞は軍勢を3つに分けて、鎌倉を攻撃しました。

 

先ほど紹介した『極楽寺切通し』はそのうちの一つで、大館宗氏を大将とした部隊が攻撃を仕掛けました。

 

一方で新田義貞自身は、弟の脇屋義助とともに『仮粧坂切通し』に攻め入りました。

 

しかし、待ち構えていた幕府軍に苦戦を強いられているうちに、極楽寺切通しにて大将の大館宗氏が討たれたとの情報が伝わってきます。

 

そこで新田義貞は、化粧坂切通しを弟の脇屋義助に託して極楽寺切通へと向かい、自ら極楽寺坂攻略部隊を指揮しました。

 

 

東勝寺跡

 

東勝寺は北条得宗家のお寺で、13世紀中頃に創建されたと伝えられています。

 

新田義貞の鎌倉攻めにより屋敷を焼かれた北条高時は、一族を引き連れて東勝寺に逃げ込みました。

 

しかし、もはやここまでと思った高時は、北条一族870名とともにこの地で自刃しました。

 

ゆえに150年続いた幕府が終焉を迎えたことから、『鎌倉幕府滅亡の地』ともいわれています。

 

 

勝長寿院跡

 

新田義貞が鎌倉を陥落させたあと、本陣を敷いた場所です。

 

この地で戦後の事務処理などを行っていたものと考えられます。

 

 

参考文献/サイト

 

本記事の作成にあたり参照したホームページです。

 

 

 

 

 

 

 

宿泊情報

 

今回の鎌倉観光では、トーセイホテル ココネ鎌倉に宿泊しました!

 

『御成通り』にあるホテルで、比較的リーズナブルに泊まることができます。

 

ビジネスホテルをリノベーションしたようなイメージですが、和室のお部屋大浴場もありおすすめです。

 

詳しくはこちらの記事をご覧ください。

 

www.usaryuugakuandtravel.com

 

 

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