ベトナム戦争というと、「アメリカの敗北」「枯れ葉剤」「代理戦争」などの言葉が浮かぶかもしれません。
しかし、その背景や実態はとても複雑で、単純な善悪の構図では語れないのが実情です。
本記事では、歴史的事実に基づいた3つの視点から、この戦争の本質を考えてみます。
- 1.テト攻勢──“軍事的勝利”が“政治的敗北”を生んだ
- 2.「正義の戦争」ではなかった両者──米軍の蛮行とベトコンの戦術
- 3.解放戦線は共産主義者だけではなかった──戦争後の葛藤と亡命の現実
- 終わりに──見えない「語られざる部分」にこそ、目を向けたい
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1.テト攻勢──“軍事的勝利”が“政治的敗北”を生んだ
1968年1月末、旧正月(テト)の休戦期間を突いて、北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線(NLF、いわゆるベトコン)は南ベトナム全土で同時多発的な大規模攻撃を仕掛けました。これがいわゆるテト攻勢です。
実はこの攻撃、軍事的にはアメリカ軍側の勝利でした。
攻撃した側の損害は極めて大きく、南ベトナム解放戦線は戦力の多くを失い、以後は北ベトナム軍が戦闘の主軸を担うようになります。
この変化は、戦後ベトナム再統一後に北の共産党政権が主導権を握り、社会主義国家体制が築かれていく過程と深く関係しています。
しかしこのテト攻勢が引き起こしたのは、戦場よりもむしろアメリカ国内の“空気”の激変でした。
メディアが伝えた大規模な市街戦や米大使館襲撃の映像は、戦争がまだ終わる気配すらないことを米国民に突きつけ、「勝っている」という政府発表への信頼を一気に崩壊させたのです。
その結果、反戦運動が一気に拡大し、ジョンソン大統領は追加派兵を断念。
ついには大統領選への不出馬を表明します。
つまり、テト攻勢は軍事的には失敗でも、戦略的にはアメリカの戦意を挫く転換点となったのです。
2.「正義の戦争」ではなかった両者──米軍の蛮行とベトコンの戦術
ベトナム戦争におけるアメリカ軍の行為は、たしかに目を覆うものが多くあります。
無差別爆撃、ナパーム弾や枯れ葉剤の使用、そして悲劇的なミライ虐殺事件。
多くの民間人が命を奪われ、今なお後遺症に苦しむ人もいます。
しかし一方で、ベトナム側にも問題のある戦術があったことも見逃せません。
南ベトナム解放戦線はしばしば民間人に偽装し、村落からゲリラ的に攻撃を仕掛けていました。
これは国際人道法上の制約、特に民間人への攻撃禁止原則を利用するかのような戦術であり、アメリカ兵にとっては「どこに敵がいるのか分からない」極限の心理状況を生む原因となりました。
つまり、アメリカ側の非人道的行為には非があるものの、その背景にあった戦場の異常さや相手側の戦術にも目を向けなければ、公平な理解にはなりません。
3.解放戦線は共産主義者だけではなかった──戦争後の葛藤と亡命の現実
多くの人が誤解しがちですが、そもそも南ベトナム解放戦線(NLF)は共産主義者だけの組織ではありませんでした。
実際には、アメリカに支配される南ベトナムの現状を嫌った民族主義的な知識人や若者、仏教系市民団体なども多く参加していました。
しかし戦争終結後、北ベトナム主導の共産政権が南部を統治するようになると、旧南ベトナム政権関係者や、南ベトナム解放戦線に属していた一部の非共産主義者は、再教育キャンプへの収容や政治的監視の対象となりました。
かつて独立や改革を目指して参加していた人々の中には、新体制のもとで発言や行動の自由が制限されるようになり、その後国外に脱出する者も少なくありませんでした。
その結果、数十万人のベトナム人が国外への脱出を試み、いわゆる「ボートピープル」として海を渡ることになります。
中には、ただ自国の将来に不安を感じたという理由で出国を決意した人々も含まれていました。
同じ民族による統一のはずだったのに、その統一後に自らの国を離れざるを得なかった人々がいたという事実は、単純に「戦争=終われば平和」という図式には当てはまらない現実を私たちに突きつけます。
「戦争とは何か」という問いを私たちに改めて考えさせる出来事だったとも言えるでしょう。
終わりに──見えない「語られざる部分」にこそ、目を向けたい
ベトナム戦争はしばしば、アメリカの敗北や反戦運動の象徴として語られます。
しかし、その背景には一面的な理解では捉えきれない、多層的な事実と複雑な構図が存在します。
- テト攻勢は、軍事的には北ベトナム・南ベトナム解放戦線の大きな損失だったが、アメリカ世論を転換させた契機となり、戦争の転換点となった。
- アメリカ軍・ベトナム側双方が国際人道法に抵触する行為を行い、多くの民間人が犠牲となった。ゲリラ戦の構造が戦闘員と非戦闘員の境界を曖昧にし、兵士たちは極限状態での判断を迫られた。
- 南ベトナム解放戦線には、共産主義とは異なる動機を持つ民族主義者や知識人も参加していた。戦後の再統一後、一部の非共産系参加者は新政権下で抑圧され、自由や安全を求めて国外へ脱出する動きが起きた。
戦争とは、単に勝者と敗者を決めるものではなく、終結後もなお、深い爪痕と新たな問いを残すものです。
歴史を学ぶということは、「誰が正しかったか」を決めつけることではなく、「何が起きたのか」「なぜそうなったのか」を多面的に捉え、理解を深める営みです。
ベトナム戦争は、今もなお、私たちに「戦争とは何か」「平和とは何か」を問い続けています。
本記事が、その問いに向き合うきっかけとなれば幸いです。
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